咀嚼
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咀嚼は一口30回?回数を気にして噛む食事がNGな理由

健康な身体を維持するために大切な「咀嚼」について

院長・関端 徹 / せきはた とおる

健康のために「一口30回数えて噛みなさい」といわれますが、私は咀嚼が大事だからといって食べ物を口に入れて回数を数えるという食べ方は意味がないと思っています。そもそも口腔や咀嚼系(※)というのはどのような役割を担っているのでしょうか?

すぐに思いつくのは「食べ物をのみ込みやすくするため」ということがあげられますね。時間に追われている方はまず食事の時間を短縮します。よく噛むことは意識しつつも、いわゆるニャンにゃんゴックンで、ともかく空腹を満たすために4~5回ごっくんと飲み込むのが習慣化しているようです。朝食にかける時間が約5分、昼食は15分、夕食は20分しか使わないパターンの人に多い食べ方です。

そこで「一口30回数えて噛みなさい」という標語が登場してきたわけです。ダイエットや肥満防止が目的で30回噛みを実践している方も多いかもしれません。もちろん、たくさん噛んで食べることは大切なことですが、回数だけを意識し過ぎるとかえって身体は栄養素吸収不良で「栄養素失調」につながっていくかもしれません。今回は栄養摂取のメカニズムとともに、身体の健康を維持するのに重要な「精咀嚼」について解説します。

※ 口腔:口から咽までの空間部分 / 咀嚼系:顎を動かすためのグループ。主に顎関節、咀嚼筋、歯周組織、歯をさす。

口腔機能が衰えが栄養摂取を妨げる

話がちょっと横道にそれますが。フレイルという言葉があります。日本語では虚弱という意味で、寝たきりになる前の状況を指します。

この状況でしっかりと栄養素を摂り、そのための運動をしっかり行い、精神的な安定を図れば、寝たきりを回避できると考えられていました。しかし、フレイル状態の人は健康な人に比べて虚弱なので、この3つを行うことは非常に難しく、それではフレイルの前段階(プレフレイル)の段階で行えばよいということになりました。

でもプレフレイルの人はむし歯・歯周病・噛み合わせの悪化で、口腔機能が衰えてオーラルフレイル(虚弱状態)になっていることが多く、それではしっかりと栄養素を摂ることはできないことも分かってきました。そこで、オーラルフレイルになっていると栄養素をしっかりと摂れない理由を考えてみたいと思います。

※フレイルプレフレイルについて(健康長寿ネット)
※オーラルフレイルについて(日本歯科医師会)

咀嚼と栄養摂取のメカニズム

栄養素の消化吸収は胃腸などの消化器管がおこないますが、消化酵素の量を決めるのは脳です。そもそも脳は体に良いと思われるものに対して消化して吸収させたいと考えているので、脳に対してこれは体に良い美味しいものだよと情報を送らなければなりません。その役割を担っているのが、消化器の最前列にある口腔器官の役割なのです。

咀嚼をすることによって、その食べ物が自分にとって大切なものであるかどうかを判断するための情報を脳に送り、必要なものだと脳が感じとれば、副交感神経を優位にして胃や腸などの働きを活発にさせたり、消化酵素を積極的に出し、体内に取り入れる行動を起こします。
※必要なものとは“心地よいもの”、“美味しいもの”のことです。

つまり口腔器官というのは、消化吸収の仕掛け人としての業務を果たしているのです。そのメカニズムを簡単に紹介します。

食べる前に、食べるべきものを判断する

まず食べる前にもいくつかのステップがあります。
1.記憶をたどる:過去の記憶から何を食べようかと思案します。
2.考える(大脳新皮質):どこで食べようか、予算は足りるか、時間はあるか
3.メニューを見る(視覚):まず、色、形を見て食欲を感じます。
4.漂う料理の匂いを嗅ぐ(嗅覚):漂う匂いを嗅ぐことによっても食欲が出てきます。
私たちは、これらの情報をもとに何を食べるのかを決めています。

口の中に食べ物が入ったら

口の中に食べ物が入った後は、触覚・嗅覚・味覚によって栄養になるかどうかを判断し、脳にその情報を伝達します。

1.触覚:歯で噛み砕くことによって歯ざわりを感じます

歯根膜という歯と歯槽骨を結んでいる繊維組織にセンサーがあり、いろいろな歯触りを感じます。特にサクサク、シャキシャキ、コリコリといったリズミカルな歯ざわりは運動セロトニンの分泌を高めます。セロトニンは脳内で働く神経伝達物質。ドーパミンやノルアドレナリンを制御し、感情や気分のコントロールに関わる働きをしますので、幸せな気分になってきます。

歯根膜の図
歯根膜の図

2.嗅覚:噛み砕いたものの匂いを判断します

食べ物を噛んで潰すことによって、その時に発生する微量分子が口腔の後方の咽頭部から上昇し、鼻腔に到達します。鼻腔の天井部にある鼻細胞受容体に様々な匂いの微粒子が到達し、瞬時に脳の嗅覚野に伝わることで匂いがイメージされます。
このイメージが海馬に伝わると過去の記憶と照合され「懐かしい食べ物だ」と解釈されます。さらに、情動をつかさどる扁桃体ではいい匂いと嫌な匂いが評価され、いい匂いであればさらに食欲が進みます。

匂いの微粒子が鼻細胞受容体に到達
匂いの微粒子が鼻細胞受容体に到達

3.味覚:味細胞から脳に味の情報が伝わります

頬と舌と歯を使って唾液とよく咀嚼(混ぜる)することによって、舌の味蕾の中にある味細胞が食べ物のうま味を感じます。その後、大脳皮質の一次味覚野で味の強さ・質を分析し、二次味覚野で匂いや食感の情報と統合され、味のイメージが作られます。
イメージができたら扁桃体で味の記憶が形成され、味の好き嫌いの判断を行います。これが海馬の記憶と合わされ、好き嫌いをつかさどる扁桃体(おいしいからそれが好きだに翻訳される)や快感をつかさどる側坐核(また食べてみたいという欲となって肯定的なエネルギーとなる)に伝わります。
最後にA10神経を通して全脳全身に伝わり、ベータ・エンドルフィンやホルモンが体内に分泌され、自律神経も同調を高めて全身がいい気分に浸されます。
こうして全身で感じた快感は再び前頭葉を刺激して、また食べたいと思うようになり、脳の海馬で記憶の照会をもとに味が認識されます。

味細胞が感じた情報が脳に伝わり、匂いや食感の情報と統合されて「味のイメージ」が作られる。海馬の記憶と合わさって好き嫌いや快感を伴い、最後にA10神経を通して全身に伝わる。
味細胞が感じた情報が脳に伝わり、匂いや食感の情報と統合されて「味のイメージ」が作られる。海馬の記憶と合わさって好き嫌いや快感を伴い、最後にA10神経を通して全身に伝わる。

副交感神経を優位にすれば、消化吸収が良くなる

以上のことから、食事によって、美味しい、好きだ、楽しい、幸福だという気分になることが、食べ物を消化吸収するために大変重要であることがわかります。

そもそも、脳と胃腸は自律神経で繋がっています。自律神経は内臓や血管などに分布し、消化や呼吸、血液の循環、代謝などに働きを調整するなどの働きをおこないます。そして自律神経はヒトの意思ではコントロールできない神経なのです。

自律神経の中で交感神経は、興奮、緊張状態を引き起こします。 そうすると、心拍数や呼吸数を増やし、血圧を上げたり、消化管の動きを抑制します。

副交感神経は交感神経とは逆に、楽しい時やリラックスしている時に働きます。 副交感神経が優位になると心臓はゆったりと、呼吸は穏やかになり、消化管の働きや消化液の分泌は盛んになります。

つまり副交感神経を優位にすれば、消化吸収が良くなるということです。そのためには、お経のように噛む回数を数えながら食事をすることはあまり意味がありません。良く味わって、美味しく感じる食事をすることが重要なのです。

あるレストランのホームページの冒頭に

「洗練された東京フレンチながらも、何度でも食べたくなる大切な記憶を呼び覚ますようなどこか懐かしさを覚える味わい…」

とありました。
食べるという行為は、このように深い精神活動とつながりがあるのです。食べ物を味わって、香りを楽しんで、歯触りを感じ、美味しく食べることが体にとってやさしく、栄養素を確実に吸収することができるのです。このような咀嚼をニャンニャンゴックン式の食べ方と明確に区別して、私たちは「精咀嚼」と呼んでいます。

回数は数えない 精咀嚼の方法

ただ「飲み込みやすくするため」のよく噛まない咀嚼ではなく、重要なのはゆっくりと食べ物の味と香りを楽しみながら食事をすること。少なくとも食べ物を1回口に入れて味わう食事をしたら、結果として最低でも30回は咀嚼してしまうのですから、念仏のように回数を数える必要はないのです。

精咀嚼のために必要な準備

  1. 食事時間の設定
    まず3回の食事時間を設定します。例えば朝は「30分食事のための時間にしよう。昼は40分、夜は60分」といったように、できる範囲で時間を管理します。
  2. 食卓の整備
    食卓を整備します。その際、テレビを見ながら食べるのはなるべく避けましょう。
  3. 食べる道具の用意
    精咀嚼用の食べる道具を用意しましょう。
    ・箸置き
    ・ティースプーン(これでカレーライスを食べます)
    ・小さなお茶碗
    ・料理を少しずつ取るための小皿
  4. 食べ物の調理
    口に入れる前の食べ物の調理も重要です。なるべく小さく、軟らかく(※)、薄味にします。
    ※例えば、生野菜→ゆでた野菜→缶詰の野菜の順に軟らかくなります。
  5. お腹の状態
    お腹は空かせておきたいものですね。
  6. 孤食はできるだけ避ける
    食べ物やそれにまつわる会話をしながら、みんなで楽しく食しましょう!

何を食べれば良いか

ヒポクラテス曰く
汝の食物を医者とも医薬ともせよ。食物で治せない病気は医者にも治せない。
噛み方だけを意識しても十分な栄養は取れません。当然のことですが、何を食べるのかも非常に重要なのです。

  1. タンパク質(動物性、植物性、乳製品)
  2. 脂質
  3. 糖質
  4. ビタミン・ミネラル
  5. ファイトケミカル(ポリフェノール、リコピン、カテキンなどの植物栄養素)
  6. 食物繊維

をバランスよく。難しい場合は、サプリメントを活用しても良いでしょう。
食欲の精神心理的な面も十分に頭に入れて、今もっとも欲しいものを選んで順番をたてます。その時、食品・食材の取り合わせについては、厳密に学問上の原則を気にかける必要はありません。

※ファイトケミカルについて(健康長寿ネット)
※健康に不可欠な「植物栄養素」とは(alterna)

食べ方

食べ方にもちょっとした工夫が必要です。

  • 小さくして食べる
    お口に入れる量をなるべく小さくしてください。
  • お箸を置く
    お口に食べ物を入れたら一回一回お箸(フォーク)を箸置きに置いてください。
  • 舌を積極的に動かす
    食べ物をお口に入れたら舌を動かすことを意識してください。特に左右に動かすことがポイントです。舌を動かすと唾液が大量に出てきます。
  • 唾液と食べ物を混ぜる
    舌、歯、頬の筋肉を使って唾液と食べ物をよく混ぜ合わせます。唾液は自然の調味料で、食べ物のうま味を引き出す効果があります。素材のおいしさが舌を楽しませてくれて美味しく楽しくなります。

    ※この機能がきちっとできるには、噛み合わせが整備されていなければなりません。整備されているとは、顎関節が安定している、歯が噛んだ時すべて接触している、個々の歯が解剖学的な形態を備わっていることが最低条件です。

  • 液体になるまで咀嚼する
    固体が液体になるまで咀嚼できると、なお良いでしょうね。
  • 腹八分目
    腹八分目を心がけてください。でも精咀嚼をしていれば、時間もかかり、じっくりと味わうこともできるので満腹感が自然と出てきます。
  • 汁物を避ける
    食べる時には、なるべく汁物を避けてください。液体をとると、十分な咀嚼はできにくくなりますし、唾液が食物とよく混ざりません。代わりに水を飲みましょう。

はじめたら、完璧にやろうと思わないで、少しずつ実行していってください。

口腔機能と食生活の見直しを

ただ念仏のように一口30回数えて食べる式の咀嚼は止めてください。美味しい、愛しい、記憶にとどめる精咀嚼を取り入れて、自分の口腔機能や食生活を見直すことから始めてみてください。

口腔は再生治癒能力がなく体は守ってくれないので、自分では気付いていなくとも、時間の経過とともにその機能は少なからず衰えていきます。少しでも身体の健康が気になるなら、特に意識すること。

むし歯・歯周病などの病気の予防し、噛み合わせや顎関節の悪化を防ぐためにも、きちんとした歯科医院で自分の状態を検査してもらって、一つひとつ改善していくことが重要です。皆さんも気持ちよく噛める口腔機能を手に入れて、健康な身体を維持されていくことを期待いたします。

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